可愛い女になりたかった
現在、暴風雨警報が出ている。古い木造賃貸一戸建てであるわが家は、殊に端っこのわたしの部屋は音も揺れも驚くほどだ。今年の強かった台風群に負けず劣らずである。被害にあった方たちに後ろめたい気持ちを抱きつつ、ドラマティックな横殴りの雨に興奮してしまう。
こんな時いつも、たいしてひどくない雷や暴風雨などで「きゃーこわい」と脅える女性について考える。そんな可愛い女性になってみたいのだ。雷も台風も好んでしまう。窓から見ている分には稲妻はうっとりするほど美しいし、雷鳴や強風は「何か特殊なこと」が起こりそうな予感に満ちている。それは時に好きな異性とはじめてのデート、ぐらいの興奮だ。非日常はいつだって魅力的なものである。
果たして女性たちは、本当に怖がっているのだろうか。
そういえば雷を怖がる女性にここ数年出会っていない。つまり学校や会社勤めをしなくなって以来ということだ。社会の中で自分をアピールするために「きゃーこわい」が必要だったのではないか、という想像は穿ちすぎだろうか。自分は守られる立場のか弱い女性であるから、手を差し伸べよというアピールである。助けを求める女性は、同性の目から見ても可愛らしく同時に憎い。
実はやったことがある。高校生時代、好きな人の前で雷鳴に身をすくめて少しだけ怖がって見せた。その男は面白い芸をする猿を見たような顔で笑った(ような気がした)。可愛いなんてちっとも思っていただけなかったようだ。「こわいの? こっちきなよ」みたいなのを期待していたわけではないけれど。けれど……
人には向き不向きがあり、わたしは可愛らしい守ってキャラにはなれないのだろう。このコラムの口調だって、えらそうだと言われる。もう、きゃーこわい女性のことを考えるのはよそう。自分は自分で居ればよいだろう。本心は隠せ隠せ。きゃーこわいに出会っても言うな言うな。
雷なんか怖がるのは実家の犬ぐらいです。
(2004年12月5日)