30分のはずが2時間に及んだ打ち合わせと、2時間ぐらいかと思っていたら5時間も熱中した打ち合わせを終えて、24時頃だったか、家にほど近いファミレスで仕事仲間とご飯を食べていたのです。
はじめは普通に仕事の話をしていたのだが、だんだん、そのうち一人の人生相談のようなことになっていって、「うおお。大丈夫だ。がんばれ!」という気持ちでいっぱいになったのだけど、「今自分は凹んでいます」と人に言えるのは、何だかうらやましいなと思ったのでした。
その悩みの渦中にある人は男性なのだが、皆でああだこうだと言っているとき、不意に泣きそうになった(ように見えた)。
わたしは目をそらした。
それはやさしさでなくて、逃げです。
状況がちょっと特殊なので、逃げるのが正しい姿勢なんだけど、その特殊性がもし無くて、たとえば酒など入っていたら、泣かせてあげたほうが良かっただろう。
その人も泣きたかったし、慰めてほしかったんだと、帰宅して3時間ほどたった静かな夜の今、思い至る。
お酒が入らないと言えないことというのが存在するって、前は理解不可能だったけど、今はわかる。深刻になり過ぎないという、大人世界に必要な利点がある。認めたくないがそれは大きい。
ああでも、深刻に生きて何が悪い。
皆もっと本音を話せばいいのに。
なんてことを思うわたしが、一番そういうことを話していない。
ここで感情を書くのみか?
状況の説明の仕方を忘れた。相談の仕方も忘れた。
聞いてくれたら答える、ということしかできぬ。
それさえ初めは茶化すことしかできぬ。
伝えたくともタイミングがわからぬ。
病んでいると言われれば否定できぬ。
人間をロジカルに分析するのが仕事の知人がいる。
分析してもらったほうがいいと皆わたしを指さした。自分でもそう思う。
だけど、人に自分の全てをさらすのが怖い。
怖いけど、本当は見せたい。
見せたいけど、本当に怖い。
状況を知る人が少しずつ出てきたけど、それぞれほんの一部のみ。ほんの事実のみ。
もし状況を全部話せたら、感情は全部隠してしまいそうだ。
泣くのを許してくれる人がないから仕方ない。
皆もっと泣くといいと思うんだけど。
哀しく、不安で、切ない世の中は、きっと平穏でやさしい。
最後に泣いたのはいつですか?