2006年 09月

「難しいですね」

浮かんだ言葉を、どこまで口にして良いものかと、どこまで文字にして良いものかと、迷う。

わたしの決断力は、仕事に関連したところでしか発揮されないようだ。
「難しいですね」が口癖だったから仕方ないのか。
何でも、「難しい」って言えるのですよ。朝起きるのも、顔を洗うのも、人と会うこと話すこと、伝えること、呼吸するのもね、難しい。でも簡単かもしれない。たぶんシンプルに考えることはできる。「難しい」と思うから物事はややこしくなる。というわけで口癖を撲滅中なのだ。

「難しいですね」のせいかどうかはわからないが、決める才能というのが、わたしには圧倒的に足りない。
決めるときに誰かの要望に即していなかったらとか、人の感情ばかり気にする。それはわたしに対する感情ということではなくて、その人がわたしの決断によって少しでも幸福になるか否かだ。
うーん。そういったことも踏まえつつ、空気を読み、バランスよく、人々は決定しているのだろう。すごいなー。

わたしに必要な本は、「質問力」ではなくて、「決断力」だな。
お。そのままタイトルの本があった。羽生 善治さんの。読んでみるか?

そして冒頭に戻るわけだけど、口にするか迷った言葉はタイミングを失って沈んでいくことが多い。
ずぶずぶ。考えるほど無口になる。

ちょっとテスト

ちょっとテスト

質問とこたえ

前に「質問力」という本を、読んだ。
もともと質問することが好きなので、無意識にやっていたことも多く書かれていたが、さらにわたしの質問力がアップしてしまったのも確かだ。
あんまり相手の好む質問ばかりしていても仕方が無い。相手に気持ちよく話をしてもらうのは確かに大切だけど、自分が聞きたいことを聞けているのかどうかを忘れずにいたいなあとか……。半年以上前に読んだものなので、もう忘れてしまったんだけどね。

それよりも最近よく気をつけなければと思うのは、質問は良いとして、その応えを聞く姿勢のこと。
人の話に、自分で勝手にフィルタをかけないようにしなければと。
先入観や思い込みを持っていたり、その会話とは直接関係のないことの判断材料として話を聞くと、「本当のこと」が聞けなくなる。本当に相手が伝えたがっていることは何だろうって、そこを考えていたい。
度々、忘れてしまうんだけどね。

例えば、この人は犯人かもしれないって思いながら話をすると、あやしいとこばかり気になるし、この人は自分のことが好きなのか嫌いなのかって思いながらだと、おかしなとこで一喜一憂してしまったりね。
それでは相手と本当に会話しているとは言えないだろうと。

興味があるから質問をしているのだ。相手が伝えたいと思っていることを、ちゃんと受け取りたい。
伝えたいと思われていないこともありがちな話なのですが、それは、なかなか一朝一夕にどうにかなることではない。
どうにかしたいと望むことすら、自分のわがままに思えてくる。

赤い風船のこと

結局、一歩も進んでないのかと思うと、どこか頭の隅っこが白く白くなって、座っていることができなかった。
わたしは、くっきり引かれたラインを見た。あんまり明確だったので、ああ、ラインじゃないのかも、壁みたいな実体を持っているのかもと思った。途方にくれた。
片足くらいは中に入れたかな、って思いあがっていたわけです。

わたしでは駄目、あるいは、わたしでなくても良い。
そんなとき、衝動的に手を離してしまうことがある。

幼いある日を思い出す。幼稚園に入った頃だったかな。
アパートの前で、飛んでいった風船を見上げていた。雲の合間に、赤い点が見え隠れしながら消えていった。

手を離しても、そこにあると思っていた。

Ctrl - Alt - Delete

カナシミを消さなければと必死になったら、さらに自分に打撃を与えてしまった。
アホやなあ。
どうすればいいのかわかりませぬ。わたしはそのとき、息を止めたんだ。
たぶん、どうしようもないと思うなあ。
ゴミ箱に捨てて、再起動繰り返したら、カナシミはゼロに近づくだろうか。

久しぶりに、自分を幸福にしたいと思った。
だけどわたしは他人を幸福にするために生きている。
他人がそれで幸福なら、わたしは笑うことができる。
人間が、「自分」と「他人」しかいない場合の話だけど。