2007年 08月

失恋メニュー

友人の友人は失恋メニューを決めているらしい。
詳細は忘れたが、失恋後は、友人に相談し、カラオケで歌いながら号泣し、素敵なホテルでエステをして……というお決まりコースをまわるのだそうだ。
それを教えてくれた友人も、失恋するとたくさんの友達に愚痴を言い、すごくすごく哀しんで食欲もなく体重を3kgも落としたり、週末には新幹線で友人に会いに行ったりしながら、半年後にまた恋をするのだと言う。

彼女たちの持つ、キラキラした生命力のようなものに、みな惹かれるのだろうと思った。

でもね

生きてます。
生きるよ。
元気になるよ。

朝。

笑顔の人たちを見て、羨ましく思ったり、憧れたり、希望のように思えたり。
たくさんの幸せに形があって触れたり食べたりできれば、わたしも少しは信じることができるのだろうか。それが存在することとか、壊れにくいものもあるのだとか。

彼のした一番ひどい仕打ちが、わたしには一番の救いになってしまった。
でも、何ヶ月か何年かたって、いろんなものを忘れたとき、どんな感情が残ると思う?
あーあ。朝は泣ける。

まぼろし

ぼくの理解者は行ってしまった
もうずいぶんまえの忘れそうな事さ
あとはだれもわかってはくれない

これからのこととか

これから仕事をどうしていくかは、もうなんとなく決めている。
自分の、弱いとこも、負けず嫌いのとこもわかってる。
いくつもの欠点と、少しの長所もたぶん。

人生をこれからどうしていくかは、まだ全然わからない。
5年後のことを、先日会った友人は語ったけれど、わたしには5年後どころか5ヶ月先も見えない。5日後なら見えるのか? わからない。出た、また「わからない」が出た。あー。

「難しい」って口癖が治ったと思ったら「わからない」だ。

いつ、何が起こるかわからない。
でもたぶんわたしは、運命論者的なところがある。
すべては起こるべくして起こっているし、すべての責任は本人が負うもの、意味のないものなんて無い(だけど、すべてのものに意味を求めないようにしないとならない。見間違うから)。

他者との関わりの中で人が存在するのだとしたら、本質で関われない我々は、存在していないのと同じなのかもしれない。
時々、存在しているだけで好きな人に迷惑をかけるから、もっともっと遠くへ行かなきゃと思う。