失踪願望

母方の祖母が天国へいきました。水曜日の夜のことです。だから木曜日から日曜日までは九州へ行っておりました。
亡くなったとの知らせは急で、真実味がなくて、現実味がなくて、わたしはぼうっとお蕎麦を食べ続けました。しばらくすると祖母がいなくなったという悲しみではなく、母の気持ちのほうが迫ってきた。祖母と一緒に暮らしていた母のつらさ。発見者である母のつらさ。
ベッドに入って電気を消すと、祖母や母や思い出や未来、いろいろが頭の中に渦巻いて、どうしようもなかったので、眠れる薬を飲んだ。

近しい人の死に接するというのは、思うよりずっとつらかった。
お葬式の朝、祖母の旅支度を手伝った。冷えた手足に白いすね当てなどをしてあげる。祖母は白い綺麗な肌をしていた。わたしは、前日から祖母のそばで夜中起きていたので、あまり脳が働かず、その瞬間哀しみの自覚もなかったのに、涙がたくさん出てきた。

わたしは失踪したいと思った。好きな人が死んだという知らせを聞かなくて良いように、「きっと元気に生きている」と思い続けていられるように何の便りも届かないところへ行きたい。

いつか、わたしや、両親、姉家族、親戚、友人知人、パセリ、よもぎ、誰もが死んでしまう。いつ、どこで、どうやってかはわからない。予告もない。覚悟もできない。みんな永遠に生きてるような気がする。

祖母の逝去の知らせが届く前日、以前、知人が飼っていた桜という猫が亡くなったというメールが届いた。まだ寿命というにはあまりに早い。

みんな永遠には生きられない。あと何年か、何十年か、どちらにしてもその短さに改めて驚く。
誰かが死ぬとき、絶対的に悲しいのだから、人類にハッピーエンドは永遠にないのだ。

3 Responses to “失踪願望”

  1. かが Says:

     命あるものに死が訪れるのは、自然の摂理だと思います。だから、たかちゃんの言う>誰かが死ぬとき、絶対的に悲しいのだから、人類にハッピーエンドは永遠にないのだ。<といったこととは、あまり関係ないように思います。

     悲しいからハッピーエンドではないとたかちゃんはいうけど、死があるから生に対する喜びや感謝の気持ちも生まれるのだと思います。

     いやいや、そんな理屈よりも生きている間は、一生懸命生きるというのが生物が持つ本能のように思います。

     それに「死」は恐れるものではないと思います。一生懸命生きるというのは、一生懸命死に近づいていることでもあるわけですから。長く生きるのも、大変だと思いますよ。

  2. SEIL Says:

    むずかしくてぼくにはよくわから

    なくは無いがやっぱ生きていたい。

  3. たかこ Says:

    ●かがさん
    自分が最初に死ねば、誰の死も悲しまずにすむ。自分が最後に死ねば、誰もわたしの死を悲しまずにすむ。
    つまり、どっちにしろ誰かが悲しい。
    自然の摂理であり、恐れることではないかもしれないけど、悲しくてやりきれない。
    みんな死ななければいいけど、そうするとかがさんの言うように、生に対する気持ちが失われてしまう。それもまた悲しい。
    悲しみを減らす方法は、自分に対しても人に対しても後悔のないように生きることだけなんだなあ。と、いうようなことを、かがさんの書き込み読みながら思いました。後悔なく、というのはすごい努力がいるのかもしれないけど。
    死ぬというのは、人生で唯一取り返しのつかないことなんだなあ。当人にとってもまわりにとっても。

    ●SEIL
    生きてたいよねー。できれば幸せに。幸せにじゃないと生きていなくてもいいかなあ。しかし完全な不幸なんてのもないよねきっと。
    生きていたいと意識することより、死にたいと意識することのほうが多いけど、幸せになりたいと思うことが、つまりは生きていたいということかなあ。

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