全部わかっているけど、何もわかっていない
変わらないのだろうと。
誰に何を話したとて、誰に何を話さずとて、悩むことも終わらないし、この無力感も。
それとも変わるのか。
時折この、「もんもんとした感じ」を自分で無理やり吹き飛ばすんだけど、戻ってくるよね。
無力感を減らすために、小説を書いたり、Webを作ったりしているのだろうか。自分の足を地につけるために、あるいは空に浮かぶために物語を容れているのは知っているけど。
すべて自己解決という姿勢が、正しいのか間違っているのか。
ああ、そうだった。「正しい」ことなどないのだから、論点を変えるべきだ。
人に自分のことと話すというのは、どういう意味があるのだろう。
一般論だけは、何があっても聞きたくないけど、一般論や正論の好きな人々にはわたしは違う話題をふるだろう。もともと自分のことを話すのは得意じゃないし、相手のことを知りたいと思うし、わたしはわたしのする幾つもの質問やリアクションの中でわたしのことを伝えることができると思っている。
話したいなら話す。話したくないなら話さない。そんなシンプルだと良いのだが、実際には相手がいる話だから、聞きたくないと思っている人には話すことができない。自分が興味深い人間ではないというのが問題なのだろう。
一番難しいのは自分の価値を信じることだ。
これはわたしの命題。解決されるときが来るのかなあ!
今日は、この自宅事務所で、ひそやかな事務所開きがある。
招待したほとんどの人は都合をつけて来てくれるみたいで、わたしはひとりでおろおろしている。どう、恩返しをしたら良いのだ。わたしはわたしのために、人が何かしら動いてくれることに、感謝と恐怖を、同じくらいの大きさで持っている。ありがとう、と、ごめんなさい、だ。
ごめんなさい、なんて誰も聞きたくないことだって知っているのに。
7.13th,2006 at 20:55
ファイト! たかちゃん。
追伸:ミクミッセージ、読んでくれましたか。
7.18th,2006 at 02:01
●かがさん
かがさんもふぁいと!
夏ばて中?
めっせーじよみました! 返事かくー