お盆のあたりのこと。

8月の中旬のある日、よもぎさんがひとりでお留守番とのことだったので、お世話に行った。そのときの写真である。
彼女は相変わらず人懐こく、相変わらず元気で、ちょっとだけ凶暴になっていた。
高く大きな声で鳴くときの必死そうな顔はまだまだ子どもで、愛しかった。
家はわたしの居た頃とは当たり前だが変わっていて、わたしの仕事場だった部屋にはソファが置かれ、くつろぎスペースになっていたし、キッチンもリビングも、すべてに馴染めない違和感を感じた。
最後の2ヶ月ほどは、わたしはその家で一人で暮らしていた。ひとりと2匹で。
その頃、わたしはその家とすごく親密だったはずなのだけど、明け方に長い散歩に出る癖と、外に出たら帰りたくなくなる気持ちは、その家を嫌いじゃない、怖くないという感情とは別のところで生まれていたのだと思う。
1時間ほどよもぎさんと遊んだり、ごはんやトイレの世話をした。
よもぎさんはわたしが去るとき、あの最後の日と同じ表情で同じ廊下の奥から顔をのぞかせていた。それを見るわたしの感情が変わったかどうかはわからない。よもぎさんは、「わたしの猫」ではなくなったけれど、愛しさに変わりはない。変わりないけれど、よもぎさんのために死ねるかと言われると考えてしまう。
それが、「わたしの猫」かそうでないかの違いなのかもしれない。極端な例だけどね。
鍵をかけて、マンションの出口でふと思った。
「郵便物も中に入れておいたほうがいいかな」
だけどわたしはその家の郵便受けが、縦横に並ぶ銀色の四角のうち、どれだったかさえ、忘れていた。