理解・判断

きみがあんまりいろんな顔を見せたから、わたしは思い出すたびわからなくなる。
きみがどんな人間なのか。
やさしいのか冷たいのか、弱いのか強いのか。
どちらとも判断がつかない。
会えたときには分かった気がしたけど、
今となってはまた何一つわからなくなった。

何かの拍子に彼が言ったことがあった。
「あなたなら分かってくれると思った」
たわいもない話のときだったけど、わたしは、何も理解できていない自分に気付いた。

わたしはきみのことを曲解してしまうことを恐れた。
できるだけ客観的に見ようとした。
きみがどんな人なのか、自分がどんな感情を持っているのか。
きみが語る言葉の意味と、伝えたい内容と、考えていることを、理解したかった。

言葉でも行動でも言えないことを、よく文章で伝えてくれたけど、それが本当なのかもわからない。
あの苦悩のいくらかは絶対に真実。
でもひょっとしたら、きみの幻想が入っていたかもしれない。
こうだったらいいと、きみが思い、
そうだったらいいと、わたしが受け取った。

きみの性格を語れない。
明るいのか、暗いのか。
寂しがりやなのか、そうでないのか。
プライドが高いのか、低いのか。
それらの両方の例を思い当たる。

たぶん、きみはたくさん嘘をついたはずだから、わたしが混乱するのも当たり前なんだろう。
それでもこんなに「どんな人か」を語れない人は珍しいように思う。
知り合ってそんなに短いわけでもないのに。

最初から、きみのどこが好きってわけじゃなかった。存在が好きだった。
今もわからない。外見のことなら言えるけど、きみの内面のどこが好きってわからない。
好きだと思うところが嘘だったら怖いから、わからないつもりになっているだけかもしれない。

甘えるのと、甘えさせるのとどっちが好きかという話になったとき、きみは「甘えるほう」と即答したけど、きみは甘えるのがとても下手だった。
わたしは、「どっちも」と答えた。
曖昧な答えを出すわたしも、わかりにくい人間だろうか。

結婚願望の話になったときも、きみは「ない」と即答し、わたしは「わからない」と答えた。
林檎と梨では、きみは「梨が好き」だと言い、わたしは「どっちも好き」と答えた。
蕎麦とうどんでも、きみは蕎麦、わたしは決めることができない。
好きな映画も、好きな曲も、好きな作家でさえ、わたしには一番がない。

きみがどんな人間だったかということだけでなく、わたしがどんな人間なのかということも、わたしにはわからないんだな、と、今気付いてみる。
きみがいろんな顔を持っていたのも、嘘をついたのも、きみがどんな人間かわからないという理由にはなっていなくて、ただわたしがそういうのを、わからない人間だということなのかもしれない。

こんな人だったならいいなと思うことはある。
会えなくなってからのきみの様子を想像して、こうだったらいいなとか。
それらの想像の根拠はあっても、それらを覆す根拠もわたしは持っている。

きっとわたしは判断力に欠けている。
自分の思考も、嗜好もわからない。
わたしは確かにいろんなものが好きで、嫌いなものが少ないが、その中で何かにこだわりを持つことができない。

ここ数ヶ月は、きみのことを心の病気だと思っていたけれど、その数倍、わたしのほうがおかしいのかもしれない。
パセリが好きというのははっきりわかる。
あと、きみが好きだった。どんな人間かは関係なく好きだった。それもわたしの中では確かだった。
だからきみがいなくなるのが、こんなに苦しいのかもしれない。
きみがどんな人間かはわからないけど、一緒にいたら自分の中に確かさを感じられたのかもしれない。
他の人ではそんなふうにはならなかった。

きみがどんな人間か、もっと知りたかったと思う。

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