指、と均衡
彼の指は長い。
長いがゆえに、いろんな想像をあたしにさせる。
あたしは、その指を見るたびに、心臓のちょっと上のあたりにシコリのようなものを感じてしまう。それから呼吸や鼓動が早くなる。
今、彼は、あたしのパソコンが暴走しているのを止めようとしている。
あたしはパソコンの前に座ったままだ。左の席に座る彼がレスキューしているのを、ただ眺めている。黒いウィンドウに、何やら文字が並んでいる。彼は、両手でキーボードを操作しているから、おかしな体勢になっている。
あたし、じゃまでしょう。
長い指が、素早くコマンドを打ち込む。
でも、ここから動けないの。
彼は、おかしいなあ、と呟く。あたしは何も言わない。
あたしの肩と彼の肩はさりげなく、くっついている。
彼はそれを知っているかしら?
彼が首をかしげたときに、あたしはわずかに座り直した。野暮な紺色の事務スカートからのびた足を、いちばん綺麗に見える角度に調節しただけ。もう少し、スカート短くしておけば良かったと、思わなくもない。
彼の長い指は、キーの上で彷徨っている。小さなため息が空気を軽くひっかく。
困ったときの彼の癖は、「F」キーの上にある小さな突起を左の人さし指で、撫でるように触ること。
あたしは、それから目が離せなくなる。
少し焼けた手、すらりとした指、綺麗に切り揃えられた形の良い大きな爪。指の先の方だけが、ゆっくりとキーボードの上で小さな円を描いている。
鼓動が早くなりすぎたので、あたしは、窓に顔を向けた。
夕焼け。
会社の窓から、毎日夕焼けが見えるなんて、素敵だけど、差し込む陽はあたしの頬をあつくさせてしまう。あたしの考えていることが、誰にも見えなくてよかった。
舌打ちが聞こえた。
「このマシン、やばいよ」
「え?」
「寿命に近いね、とりあえず、書類は復帰させたけど。これ以上使うと保証できないよ」
彼は、そう言うと少し身をひいた。肩が離れた。
あたしたちは、また、他人にもどった。
彼は、同僚の顔と距離で、あんまり役に立てなくてごめんね、と言った。
その言葉で、彼の指はあたしではない誰かのものになる。
いいの、ありがとう、とあたしも言うけど、いつかこの均衡を壊すのはあなたの仕事なのよ、と言外に呟いてる。
聞こえたかな?