化粧
鏡の前でひたすらに化粧をしている、彼女の横顔が好きだ。ベッドで横になったまま、じいと見ているのが好きだ。
お化粧は鎧だと、いつか彼女は言っていたが、もしそうなら、その鎧はとても脆いものだと思う。
時間が経つにつれ、皮脂が鎧を崩していく。
それでなくとも、今、目の前で起こっているように、涙がそれを崩したりもする。
丁寧に塗ったファンデーションが落ち、ぼかしたアイシャドウは姿を消す。
では何のための鎧なのだ。
そんなことを思いながら、僕は涙の筋を見つめる。
口の中でひとりごとのように、彼女は自分の言葉を喋っている。僕の耳に辿り着くには、眼前の空気を揺らすより、テーブルの下で触れ合っている足を伝ってくる方が遥かに早い。
伝わった内容と雰囲気に即して、僕はうつむき、白いシャツの袖に肌色の汚れを発見した。彼女の鎧だ。僕のところに来ていたのか。
つい、笑んでしまう。
涙でもって鎧を脱ぎ続けている彼女はもう、忘れているに違いないが、つい一時間も前まで、我々は子犬のようにじゃれあっていたのだ。僕は彼女の顔を両手で挟んで不細工にする行為を繰り返し、彼女はお返しだと言って、僕の鼻を強引に上向けて笑った。
気付くと、空気の揺れは収まっていた。
視線を上げる。彼女はまっすぐに僕を見ている。鎧はすべてなくなり、それは裸と同じく、どこか痛ましさを感じさせた。唇だけが、かすかに赤く存在を主張している。
何で笑っているの?
彼女が訊いた。僕はテーブルの下の足を組みかえて、また彼女の足にくっつける。足を通して伝わらないかなあと黙っていたが、彼女の神経は足ではなく耳に集中しているようで、綺麗に描かれた眉の間に、すうっと縦線が入った。
聞いてる?
唇の赤は、口紅ではなく、血液の色だ。感情が昂ぶると、彼女は唇を噛むくせがある。
僕は立ち上がった。彼女が身を小さくした。男が暴力をふるわないことがわかっていても、抗うチカラのない女は反射的に身構える。
ダイニングテーブルをぐるりと周って、彼女の隣りに僕は立った。
まっすぐに顔を向けている彼女の顔から、眉間の縦線は消えたけど、口が一文字に結ばれている。
僕が手を伸ばすと、やはり怖いのか、彼女は一瞬だけ目を閉じた。僕は容赦しない。
頬を両のてのひらで挟んで、彼女の顔の肉をぎゅうと真ん中に寄せた。
真剣な顔を続けようとする努力は、長くは続かない。
まず僕が噴出し、次いで彼女も手を振り払いながら笑い出した。
ひどい。
そんなことを言っているが、彼女は笑顔だ。目が腫れぼったいし、いささか苦笑気味ではあるが、笑顔に変わりはない。
腕の中に彼女を入れた。
力をこめる。
彼女は安心したように、たまってた息を吐き出して、カラダを預けた。
ここでは鎧は要らないと、いつか言ってあげよう。
涙を見せるのは僕の前でだけ、鎧を取るのは僕の前でだけ。
そして、この数時間後、鎧をつけていく彼女を見るのは、僕だけの特権。