[ 1-1. 日記 ]
なんだか、Beatles が聞きたいような日曜の午後だ。
外付けHDDには入っていると思うけど。iTunes のプレイリストに加えることすら億劫に思える、そんな日曜の午後だ。
とってもどうしようもない感じの、日曜の午後なのだよ。
you tell me that you’ve heard every sound there is
and your bird can swing
but you can’t hear me
you can’t hear me
2006年9月3日(日) 15:49 | コメントする
[ 1-1. 日記 ]
人の気持ちのうち、暗黒のところを引き受けてしゃべっているような人がいる。
人の気持ちのうち、憤懣だけを選んでしゃべっているような人がいる。
彼・彼女は、それをすることで、たくさん人を助けているのかもしれないと思った。
彼らは敵を作りやすいし、わたしは彼らを深く知っているわけでもない。だけどその率直さは尊敬に値する。
わたしは人を嫌いにならないけど、そういうことではなくて、彼らのことが好きだ。
少し時間が経てば、とても綺麗な言葉をしゃべりだすのではないかと思う。
純真なだけの人間よりずっと。
2006年9月1日(金) 03:30 | コメントする
[ 1-1. 日記 ]
届いたと思っていたものが届いていない。
のではなくて、本当は、届いたなんて思ったことはない。
真実を推測することもできない遠い世界のお話です。
たとえば空気を振動させてもそれが届くまでに何億光年、ソラを辿らねばというようなお話です。真空で音はどうなるのでしょう。
音楽が止まって1時間が過ぎた。エアコンを止めて30分が過ぎた。わたしは時間の計り方を他にも持っている。
やっぱり、わたしは届いたと思っていた、のかもしれない。
2006年8月31日(木) 23:43 | コメントする
[ 1-1. 日記 ]
ここはとても静かな場所です。
音も無く、きみも無く。ただ時折、猫の鳴くのみ。
灯りをつけず、手を伸ばして誰もいないのを確かめ、足を伸ばして猫のいるのを確かめ、猫の気分によっては噛まれたり、舐められたり。
白いシーツと黒い猫。タオルケットの肌触りはさらさらとしてやわやわとして心地よいね。
幸福に見えるだろうか。あるいは寂しそうだろうか。感情はありそうだろうか。
ただ生きているだけに見えるだろうか。
03:36 | コメントする
[ 1-1. 日記 ]

8月の中旬のある日、よもぎさんがひとりでお留守番とのことだったので、お世話に行った。そのときの写真である。
彼女は相変わらず人懐こく、相変わらず元気で、ちょっとだけ凶暴になっていた。
高く大きな声で鳴くときの必死そうな顔はまだまだ子どもで、愛しかった。
家はわたしの居た頃とは当たり前だが変わっていて、わたしの仕事場だった部屋にはソファが置かれ、くつろぎスペースになっていたし、キッチンもリビングも、すべてに馴染めない違和感を感じた。
最後の2ヶ月ほどは、わたしはその家で一人で暮らしていた。ひとりと2匹で。
その頃、わたしはその家とすごく親密だったはずなのだけど、明け方に長い散歩に出る癖と、外に出たら帰りたくなくなる気持ちは、その家を嫌いじゃない、怖くないという感情とは別のところで生まれていたのだと思う。
1時間ほどよもぎさんと遊んだり、ごはんやトイレの世話をした。
よもぎさんはわたしが去るとき、あの最後の日と同じ表情で同じ廊下の奥から顔をのぞかせていた。それを見るわたしの感情が変わったかどうかはわからない。よもぎさんは、「わたしの猫」ではなくなったけれど、愛しさに変わりはない。変わりないけれど、よもぎさんのために死ねるかと言われると考えてしまう。
それが、「わたしの猫」かそうでないかの違いなのかもしれない。極端な例だけどね。
鍵をかけて、マンションの出口でふと思った。
「郵便物も中に入れておいたほうがいいかな」
だけどわたしはその家の郵便受けが、縦横に並ぶ銀色の四角のうち、どれだったかさえ、忘れていた。
2006年8月28日(月) 20:29 | コメントする