考えないで
[ 1-1. 日記 ]
したいと思うことをする。
自分自身の願いを聞く。
[ 1-1. 日記 ]
毎日、一歩ずつ、きみを離れています。
ようやくまともに、元気なふりができるようになりました。
それでも、人と会うと、ちょっとしたやさしさが心にしみてしまうので、すぐに泣きそうになります。泣かないのだけど、声が震えることはあります。目をふせて、奥歯を噛みしめるようにすると、涙は止まるようです。
あとは笑っていられます。わたしは強がるのが得意です。
久しぶりに、口には出さずに、名前を呼びました。
名前は・・・困るね。この切なさを、わたしは何かに転化しなければならないんだろうね。
たとえば、状況が一片も変わらないままなら、もしきみが戻ってきても、わたしは NO と言うでしょう。
わたしはたぶん、人からもらった言葉を大事にとっておくくせがあるんだと思います。苦しい言葉は呪いのようになって、いろんなものを縛ります。
なんだか、ここ数日、きみがわたしを離れたのではなくて、わたしがきみを突き放したような気がしています。
ダメなところも好きだったけれど、許せないところもあったんです。
わたしが、どうしてもきみより早く元気になりたいというのは、復讐の意味もあるのだと思います。
一歩ずつ、声も届かないくらい遠くに。
[ 1-1. 日記 ]
もうすぐ8月が終わる。
早い。ほぼ1カ月ってことではないか。衝撃的事実が発覚したときから数えるとほぼ半年。そーかー。
区切りなのだ。区切れてよかったのだ。
だから9月になったら元気になろう。
明るく、さわやかなデートがしたい。
(これはけっこう長く望んでいることだ。本当は好きな人としたかった。絶対するって彼は言ったけど、実現されなかった。絶対、なんて言葉は、彼はほとんど使ったことがなかったのに)
恋愛に長けた人が言うには、最初は誰でもいいのだって。
デートして、駄目って思ったらそれでさよならすればいいのだって。
だからたくさん種をまきなさいって言われた。
いろんな人を見て、人の見方を学ぶのだと。
わたしは、人とふたりで会うことに、すごく高いハードルを感じるタイプなので、あまりたくさんの人とデートしたことない。テレビも見ないし、時事問題にも興味ないので、普通の人とは共通の話題も見つけられないだろうし、とか。
あと、好きになられたら面倒だとか思ってたけど、好きになられるのは良いことなのだそうです。
そーかー。
人の恋愛論を聞くのは興味深い。自分に当てはめられることと、そうでないことはあるけど。
とにかく、9月からは、新しい自分になったのだと思って、外に出よう。
と思った。
8月、最後の週末。
[ 1-1. 日記 ]
自分に足りないもの、決定的に足りないものは、自信だ。
それは、昨夜だったか、今朝だったかに気付いたんだ。
そして、今日、友達との集まりで、恋愛教室みたいなことをしてくれた人がいたのだが、その人と話していて、あらたにわかったこと。
自分が一番大切という考え方、これがわたしには足りない。
足りないというより、存在しない。
だからいろんなものを背負いこむし、逃げられなくなるし、たくさん失敗する。不幸になる。
自分自身を幸福にするために努力するということを確かにわたしは今までやってこなかった。
人を幸福にすれば、自分も幸福になると思っていたからだ。でも違った。人を当てにしているのと同じだったのかもしれない。不幸を呼び寄せているのと同じだったかもしれない。
それで苦しい、苦しいって嘆いて、勝手な人間だったのかもしれない。
わたしは、まじめに考えすぎる。
自分の幸福のためには、何をしてもいい、ってくらいにならないとわたしは解放されないのかもしれない。
自分が幸福じゃなくても、人を幸福にできるって思ってた。それは何重もの意味で間違いだった。
わたしを不幸にする男なんて忘れよう。忘れよう。
自分のために。
[ 1-1. 日記 ]
電車の中で、きみからのメールを消した。
きみへ送ったメールも。
わたしは今まで、恋人からもらったメールとか手紙とか写真とかそういったものを、特に意識して捨てたことはなかったのではないだろうか。とっておくことのほうが、多かった。それで恋人と喧嘩をしたこともあった。
でも今回だけは手元に残しておけなかった。それらの言葉のうちの嘘を探したくなかったのもある。
メールだけじゃなくて、もらったものとか、きみが使ったものとか、捨てた。
わたしはそれらを捨てながら、ゼロに近づいていった。
またイチから始まることができたらと、何度も想像したことを繰り返した。
だけど、きみがくれたのは形の無いもののほうが多かった。これらはどうしたら捨てられるんだろう。